極稀◆澁澤龍彦、稲垣足穂他宛書簡2通・昭和43年(1通封筒付)の商品情報

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平均落札価格

3,280 円

最高落札価格

437,000 円

最低落札価格

1 円

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対象オークション 「極稀◆澁澤龍彦、稲垣足穂他宛書簡2通・昭和43年(1通封筒付)」 は 「昭和43年」 を含む落札商品の中で、全2,056件中およそ 3 番目に高額です。

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極稀◆澁澤龍彦、稲垣足穂他宛書簡2通・昭和43年(1通封筒付) の落札情報

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  • 落札価格:
    201,000
    入札件数:
    4入札履歴
  • サイト
    ヤフオク!
    残り時間
    終了
  • 開始価格
    160,000円
    入札単位
    1,000円
  • 数量
    1個
    商品状態
    中古
  • 開始日時
    2016年1月29日 3時0分
    終了日時
    2016年1月31日 20時57分
  • オークションID
    s479317283この商品をヤフオク!で見る

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商品説明


澁澤龍彦自筆書簡2通

商品詳細 珍しい澁澤龍彦の自筆書簡です。一通は、詩人・木ノ内洋二宛、昭和43年2月14日付、ペン書、便箋2枚19行、封筒付。雑誌や「奇怪な写真」を贈られた御礼と、その年に澁澤が手掛けている翻訳の仕事等についてのものです。具体的な書名が挙げられており、貴重です。
この木ノ内を紹介したのは稲垣足穂で、もう一通はその稲垣宛の紹介に対する返信です。封筒がないので特定は出来ませんが、「京都の秋は如何でしょうか」とある事から、前年、もしくはもっと以前のものと推測されます。(稲垣宛の書簡の筆跡ー「澤」のサンズイのバランス、「彦」の書き方ーからすると、昭和30年代後半の気が致しますが…)
とは言え、澁澤の稲垣宛の書簡が市場に出るのはこれが初めてではないでしょうか。
封筒がないものの、かなり貴重なものと言えるかと思います。
私はよく1000円スタートにしてサクラに値を吊り上げさせる業者ではないので、それなりの金額から開始とさせて頂きますが、稲垣宛の一通だけで通常はこの金額以上ではないかと思います。
即決金額等はご相談に乗りますので、質問欄よりご質問ください。
きちんと評価までご対応頂ける方、また早めにきちんとご連絡を頂ける方でお願いいたします。

状態は経年並~並上と言って良いかと思います。骨董という事をご理解頂き、NC・NRにてお願いします。

支払詳細 ・みずほ銀行振込
・ゆうちょ銀行振込
・Yahoo!かんたん決済
  (申し訳ありませんが、代引きはご遠慮下さい)

発送詳細 貴重資料ですので、レターパック(手渡し510円)か、ゆうパック着払いでの発送を予定しておりますが、ご希望ありましたらご落札後にご連絡下さい。
出来るだけご希望に沿う発送をさせて頂きます。

コメント この度、オークション落札通知に「出品者のメッセージ」を入れさせて頂きました。落札通知の届く方は、そちらをお読み頂きまして、ご連絡下さい。また、当方よりも極力早めに連絡を差し上げますので、お願い致します。 また、ご質問等ありましたら、質問欄にて気軽にご連絡下さい。
出来る限りはお答えさせて頂きます。
尚、個人出品の為、領収書等の発行は致しませんので、振込み時の控えをご代用頂きたいと思います。

↑↑↑ この表は オークション プレート メーカー で作成しました  ↑↑↑ No.018.002


(2016年 1月 29日 21時 13分 追加)
説明欄に書いてありませんでしたが、この2通の他に、木ノ内宛の、龍子からの喪中葉書がていております。こちらには、龍子の肉筆にて「鎌倉五山の浄智寺に埋骨致しました。」との添え書きがあります。

(2016年 1月 30日 6時 28分 追加)
既に何人かの方からお問い合わせを頂いておりますが、もしもう少し詳細な画像をご希望の方がいらっしゃれば、質問欄よりご連絡くださいませ。

(2016年 1月 30日 6時 41分 追加)
度々追記させて頂きますが、稲垣宛の書簡の中で、「おたより なつかしく拝見しました」とあり、また木ノ内の書簡では「一昨年の夏でしたか、」と木ノ内が澁澤宅を訪れたらしき記述がある事から、稲垣が木ノ内を紹介したのが昭和41年以前、また稲垣の執筆中の大作について触れている(『少年愛の美学』でしょうか)事から、稲垣宛のものは日付がありませんが秋の頃と思われるので、昭和40年か、それ以前のものと推測しています。

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