高野虎市 喜劇王チャップリンの秘書 1941年6月19日撮影 生写真 第二次世界大戦 貴重資料の商品情報

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高野虎市 喜劇王チャップリンの秘書 1941年6月19日撮影 生写真 第二次世界大戦 貴重資料の1番目の画像
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    終了
  • 開始価格
    20,349円
    入札単位
    500円
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    1個
    商品状態
  • 開始日時
    2021年7月18日 16時7分
    終了日時
    2021年7月18日 16時8分
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商品説明

高野虎市の(1941年6月19日にアメリカでスパイ疑惑によって逮捕された際に撮影された)生写真です。
サイズは(約28x23cm)

喜劇王チャールズ・チャップリンの秘書・マネージャーとして有名な人物。



(人物)

【チャップリンの秘書に】
1916年にチャップリンが運転手を募集していたため赴いたところ、採用された。とくにチャップリンが日本人を求めていたわけでも、高野がチャップリンのファンであったわけでもない。

当初は運転手としての雇用だったが、後にチャップリン邸の秘書となる。チャップリンは高野の仕事に対する一途な姿勢に感銘をうけ、一時期家の使用人全てを日本人にしたほどである。また、チャップリンが日本贔屓であるのも彼に由るところが大きい。高野に最初の子息(長男)が誕生した際には、チャップリンは自らのミドルネーム(スペンサー)をその名前として与えている。

1932年にチャップリンが訪日した際にも同行。このとき、五・一五事件の前夜に皇居付近を自動車で走行中、チャップリンに「車を降りて皇居(当時は宮城)の方角に向かって会釈してほしい」と依頼した。これはチャップリンに対する不穏な動き[2]を察知し、印象をよくするためにおこなったものであったが、チャップリンは従ったもののその真意を測りかねていたという。

1934年までチャップリンの元で秘書を務めた。チャップリンの当時の(内縁の)妻ポーレット・ゴダードの浪費癖を指摘したところ、ポーレットがこれに激怒。高野は自分を取るか、ポーレットを取るかとチャップリンに迫った後、自ら辞任した。ポーレットが日本人に差別意識を持っていたとか、高野の解雇を声高にチャップリンに訴え、それに押し切られた彼によって解雇されたという事実は無い。その後チャップリンは高野に対して再度秘書として戻ってくるようアプローチを試みたが、高野が秘書からの引退を考えていたこともあり成功しなかった。

【辞任後】

なお、その後チャップリンは高野に莫大な退職金と、アメリカの映画配給会社ユナイテッド・アーティスツ社の日本支社長の地位を用意した。このうち支社長の地位は、日本での作品上映に当たる代理店としての権利を与えたものであったが、日本の興行習慣に高野が馴染まなかったため長続きはしなかった。高野はその後いくつかの事業を試みるがいずれも成功しなかった。この間、妻イサミを病気で失っている。



【第二次世界大戦中】

第二次世界大戦における日米開戦前の1941年6月、アメリカで日本軍のスパイ容疑で高野はFBIに逮捕された。これは高野と面識のあったアメリカ人俳優から日本海軍の士官との面会を依頼されて取り次いだ際に、アメリカ海軍の機密情報を渡したという容疑であった。実はこの俳優はFBIの放った囮であり、実際にはそのような事実はなかった。子息のスペンサーは、高野の逮捕後にその待遇の好転を図るべく志願して軍隊に入営した。スペンサーはその後大戦中に日本軍と対戦する経験もしている。

日米開戦後には日系人の一人としてモンタナ州の強制収容所に収容された。高野は「特に親米的な日本人」として待遇も良かった。しかしながら、日本の敗戦後も収容が続き、6年間の抑留を経て釈放されたのは、戦争終結から3年後の1948年8月のことであった。

チャップリンの映画『チャップリンの冒険』(1917)に、実生活同様運転手の役で出演した。これは予定されていた俳優が二日酔いのため撮影に来られなかったためであった。ほかにもう1本出演作がある。
映画監督牛原虚彦は高野の紹介によってチャップリンに弟子入りができた。

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